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東京地方裁判所 平成11年(ワ)9416号 判決 2000年12月11日

原告 矢藤利通

被告 国

代理人 笠原久江 恒川浩二 ほか一名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

原告が、別紙図面<略>記載の点A、点B、点C、点D、点Aの各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地につき、所有権を有することを確認する。

第二事案の概要

本件は、原告が、亡母から相続により取得した私有地に隣接して国有地が存在していたところ、原告は、右国有地の所有者である被告に対し、(一)亡母は、生前に、右国有地も同人の私有地に属する部分であると思って一〇年間ないし二〇年間占有していたことにより、右国有地を時効取得し、原告は、右時効完成後に死亡した亡母を相続したことによりこれを取得したとして、(二)又は、原告自らも亡母の死後、引き続き、右国有地を、亡母から相続した私有地として占有を継続し、原告が占有を開始してから一〇年ないし二〇年が経過したことにより、右国有地を時効取得したとして、それぞれ取得時効の援用の意思表示をしたうえ、右国有地につき、所有権の確認を求めている事案である。

一  争いのない事実等(証拠等によって認定した事実は末尾に当該証拠等を掲記する)

1  別紙物件目録<略>記載一ないし四及び六の各土地は、訴外矢藤吉三(以下「訴外吉三」という)がもと所有していた。

本件で争いになっている別紙図面<略>記載の点A、点B、点C、点D、点Aの各点を順次直線で結んだ線で囲まれた範囲の土地(以下「本件係争地」という)は、その西側を別紙物件目録<略>記載一の土地、東側を同目録<略>記載二ないし五の土地、南側を同目録<略>記載六の土地に囲まれた土地である。

2  本件係争地は、国有の無番地の一般交通の用に供されていた公共の道路であり、国有財産法三条二項にいう公共用財産である。本件係争地は、道路法の適用を受けない道路であり、国有財産法九条三項、同法施行令六条二項により東京都が管理しているところ、東京都が用途廃止(公用廃止)をした事実はない(<証拠略>)。

3  矢藤タツ(以下「訴外タツ」という)は、大正四年一〇月二二日、訴外吉三から、別紙物件目録<略>記載一ないし四及び六の各土地を交換で取得し、右各土地の占有を開始すると共に、本件係争地の占有を開始した(<証拠略>)。

4  訴外タツは、大正一四年一〇月二二日経過時及び昭和一〇年一〇月二二日経過時、本件係争地を占有していた(<証拠略>)。

5  訴外タツは、昭和四八年三月二三日死亡し、原告は、訴外タツの子供であるところ、原告を含む訴外タツの相続人間で、原告が、別紙物件目録<略>記載一ないし四及び六の各土地の所有権を相続することを内容とする遺産分割協議の合意が成立した(<証拠略>)。

6  原告は、昭和五〇年一一月七日当時、植木の生産販売業等を業とするきぬた農園を営むことによって本件係争地を占有していた(<証拠略>)。

7  また、原告は、昭和六〇年一一月七日経過時及び平成七年一一月七日経過時、本件係争地を占有していた。

8  原告は、平成一一年五月二四日、被告に対し、本件訴状において訴外タツの占有を基礎とする短期取得時効及び長期取得時効を援用するとの意思表示をした。さらに、原告は、平成一一年一〇月二五日の本件第三回口頭弁論期日において、被告に対し、自己の占有を基礎とする短期取得時効及び長期取得時効を援用するとの意思表示をした。

9  被告は、本件係争地を所有していると主張して、原告の所有権を争っている。

二  争点

1  訴外タツの占有を基礎とする取得時効、原告の占有を基礎とする取得時効の両方に共通の争点

(一) 本件係争地は黙示的に公用廃止がされた土地か。

(原告の主張)

(1) 本件係争地は、遅くとも訴外タツが占有を開始した大正四年一〇月二二日ころまでには、道路としての用途を廃止し、宅地として使用され、本件道路の管理者たる東京都もこのような事態に対して何らの手段を講ずることなく放置し、黙認してきたのであるから、黙示的に公用廃止の意思表示があったというべきである。したがって、本件係争地は、時効取得の対象土地となる。

(2) 原告が、本件係争地の占有を開始した昭和五〇年一一月七日当時には、本件係争地は黙示的に公用廃止がされていたから、遅くともこの時点では、本件係争地は、時効取得の対象土地となっている。

(被告の反論)

(1) 原告が訴外タツの占有開始時点と主張している大正四年一〇月四日当時の本件係争地の状況は不明であるが、少なくとも地押調査図が作成された明治二〇ないし二二年ころには本件係争地が道路として使用されていたので、その後も相当期間、道路としての形態、機能を有していたものと思われる。したがって、訴外タツの占有開始時においては、「長年の間」事実上公の目的に使用されることなく放置されていた状態ではなかったものと推認される。

(2) 昭和五〇年一一月七日に成立した境界確定協議に基づき作成された図面(<証拠略>)によれば、本件係争地と東京都世田谷区砧一丁目三六九番三(以下、単に番地のみで表記する)、三七〇番一の土地との境界には石標が存在する。また、平成一一年五月一七日に申請された三六八番九の土地の分筆登記申請の際に提出された地積測量図(<証拠略>)によれば、本件係争地と三六八番九、三七〇番一の土地との境界にコンクリート杭が存在し、本件係争地と三六八番九、三六八番一四の土地との境界にもコンクリート杭が存在する。これらの事実によれば、本件係争地の存在及び形状は明らかといえる。したがって、本件係争地が道路としての形態、機能が全く失われたとはいえない。

(3) 以上のとおり、訴外タツが占有を開始した大正四年一〇月四日の時点、原告が占有を開始した昭和五〇年一一月七日の時点において、本件係争地は道路としての形態、機能を未だ喪失しておらず、黙示的に公用廃止をしていたとは認められない。

(二) 原告は、時効援用権を喪失したか。

(被告の主張)

原告は、時効援用の意思表示以前に、以下のとおり、本件係争地の取得時効の主張と相容れない行為を行っている。したがって、原告は、信義則上、原告の占有を基礎とする取得時効のみならず、訴外タツの占有を基礎とする取得時効についても援用権を喪失しているというべきである。

(1) 原告は、昭和五〇年一一月七日、東京都知事との間で、本件係争地と原告所有地の境界の境界確定協議を成立させた。

(2) 原告は、平成四年三月二四日、本件土地及び目録<略>記載の各土地の一部の上に立つ原告所有の家屋番号三六九番二の一の建物及び家屋番号三六九番二の三の建物の登記手続をしたが、各建物の登記申請書に添付された建物図面には、本件係争地について「道路」と明記されていた。

(3) 原告は、平成一一年五月一七日、別紙物件目録<略>記載一の土地について分筆登記をしたが、その際、本件土地を「道路」と明記した地積測量図及び本件土地が道路である旨の記載をした土地現地調査書を添付のうえ申請をした。

(原告の反論)

(1) 被告が主張する各行為は、本件係争地の取得時効の主張と相容れない行為とはいえない。確かに、被告の主張する建物図面、地積測量図等には、本件係争地を「道路」と表示した部分が存在するが、それは、単にそれぞれの登記をするために必要な書類として提出したにすぎない。

(2) 仮に、前記(1)の境界確定の協議により時効援用権を喪失したとしても、境界確定協議の成立後更に二〇年間が経過しており、本訴提起時には新たに長期取得時効が完成しているといえる。

2  訴外タツの占有を基礎とする取得時効についてだけの争点

(一) 他主占有の有無(訴外タツは占有の始め本件係争地を所有の意思をもって占有したか)について―長期取得時効、短期取得時効共通―

(被告の主張)

訴外タツは、昭和四四年三月一〇日、旧三六八番九の土地の分筆登記の申請をしたが、申請書に添付された本件係争地と原告の土地との境界を表示した地積測量図には、本件係争地について「道路」と明記されていた。

訴外タツは、右地積測量図を土地家屋調査士に委任して作成させたのであり、訴外タツの右申請行為は、本件係争地が存在し、かつ、その所有権が国にあることを自認していることにほかならず、真の所有者であれば通常とらない態度である。

(原告の反論)

登記の分筆申請の際に、訴外タツが本件係争地につき、「道路」という表示がある地積測量図を提出したとしても、もともと右地積測量図は、土地家屋調査士が作成したものにすぎないし、土地家屋調査士としても、現況は農園敷地ないし建物敷地となっていて道路の形状をしていないのに、公図との整合性を図るため右記載をして分筆登記のために必要な書類として提出したにすぎず、当該地積測量図の提出をもって、訴外タツの本件係争地の占有が他主所有であったということはできない。

(二) 無過失の有無(訴外タツは占有の始め本件係争地を自己の所有だと信じるにつき過失がなかったか)について―短期取得時効のみ―

(原告の主張)

(1) 別紙物件目録<略>記載一ないし四及び六の各土地は、訴外タツの兄である訴外吉三がもと所有していたものであり、訴外タツは、大正四年一〇月二二日、右各土地を交換により取得した。

本件係争地は、その西側を別紙物件目録<略>記載一の土地、東側を同目録<略>記載二ないし四の土地、南側を同目録<略>記載六の土地に囲まれた幅約九〇センチメートル程度の細長い道路敷であり、訴外タツが別紙物件目録<略>記載一ないし四及び六の各土地を訴外吉三から取得した大正四年一〇月二二日当時、本件係争地は、道としての機能、形状を喪失し、道路として全く使用されていない状態になっていた。

(2) 本件係争地は、大正四年当時、未登記であり、訴外タツは、当時、本件係争地の所有権者が誰であるか確認する手段がなかった。

(被告の主張)

訴外タツが本件係争地の占有を開始した大正四年一〇月二二日当時、本件土地に関する公図及び土地台帳を調査すれば、本件土地の所有権が被告にあることを知り得た。売買によって本件係争地に隣接する別紙物件目録<略>記載一ないし四及び六の各土地を取得する場合には、その土地及び周辺の土地の権利関係、その土地の公図上の状況を把握するのが通常とるべき態度であるから、それを怠った訴外タツは、本件係争地の占有を開始するにつき過失がないとはいえない。

3  原告の占有を基礎とする取得時効についてだけの争点

(一) 他主占有の有無(原告は占有の始め本件係争地を所有の意思をもって占有したか)について―長期取得時効、短期取得時効共通―

(被告の主張)

(1) 原告は、昭和五〇年一一月七日、東京都知事との間で、本件係争地と原告所有地との境界確定協議を成立させた。

原告は、右境界確定協議により、本件係争地が公共用地であることを認識しつつ、原告所有地と公共用地の境界の確定を求めていることが認められ、このような原告の態度は、外形的客観的にみて原告が被告の所有権を排斥して占有する意思を有していなかったものと解される事情というべきである。

(2) 原告は、平成四年三月二四日、本件係争地及び別紙物件目録<略>記載二ないし五の各土地の一部の上に立つ原告所有の家屋番号三六九番二の一の建物及び家屋番号三六九番二の三の建物の登記手続をしたが、各建物の登記申請書に添付された建物図面では、本件係争地は「道路」と明記されていた。

(3) 原告は、平成一一年五月一七日、別紙物件目録<略>記載一の土地について分筆登記したが、その際、提出した地積測量図には、本件係争地と別紙物件目録<略>記載一の土地の境界にコンクリート杭があることが示されており、また、本件係争地は、「道路」と明記されていた。

(4) 右(1)ないし(3)の各事実は、原告が、以前から本件係争地について、原告の所有であるとは信じていなかったことを基礎づける事実である。

(原告の反論)

昭和五〇年一一月七日の境界確定協議は、訴外タツの財産を承継した原告が、相続により、所有権を取得した財産の範囲を明らかにするとともに、公図上「赤道」となっている本件係争地の、現地における位置を明確にしたいとの意思により行ったものにすぎない。境界確定協議がこのような経緯により行われたものである以上、自主占有の性質を変更するものではあり得ない。

(二) 悪意の有無(原告は占有の始め本件係争地が自己の所有であると信じていたか否か)について―短期取得時効のみ―

(被告の主張)

原告は、昭和五〇年一一月七日、東京都知事との間で、本件係争地と原告所有地との境界確定協議を成立させた。右境界確定協議は、原告所有地と国有地である本件係争地の境界を確定するもので、昭和五〇年一一月七日当時、原告は、本件係争地の存在及び本件係争地が原告の所有であるとは信じていなかった。

(原告の反論)

否認する。その理由は、前記3(一)の原告の反論と同一である。

(三) 無過失の有無(原告は占有の始め本件係争地を自己の所有だと信じるにつき過失がなかったか)について―短期取得時効のみ―

(原告の主張)

原告が本件係争地の占有を開始した昭和五〇年一一月当時、本件係争地は既に少なくとも六〇年にわたって建物の敷地及び農地として、訴外タツ及び原告によって占有してきた経緯があり、これに対し、被告は一切権利主張を行わず、異議も述べていないことから、原告において、本件係争地を自己の所有であると信じることについては過失がなかった。

(被告の主張)

原告は、昭和五〇年一一月七日に、被告との間で、境界確定協議を成立させているのであるから、その後、本件係争地を所有の意思を持って占有したとしても、その占有開始時に、本件係争地を自己の所有と信じるにつき過失がなかったとはいえない。

第三争点に対する判断

一  訴外タツの占有を基礎とする取得時効の成否

1  争点1(一)(黙示の公用廃止)について

(一) 争いのない事実等2のとおり、本件係争地は公用財産であるところ、このような国の財産が時効の対象物となるためには、訴外タツが占有を開始した当時、右対象物が黙示的に公用廃止されていることが必要である。そして、黙示的に公用廃止がされているというためには、取得時効の援用の意思表示をする者の側で、(1)当該対象物が長年の間事実上公の目的に供用されることなく放置され、(2)公共用財産としての形態、機能を全く喪失し、(3)その物の上に他人の占有が継続したが、そのため実際上公の目的が害されるようなこともなく、(4)もはやその物を公共用財産として維持すべき理由がなくなったという四要件を主張、立証しなければならない。これを本件に当てはめてみると、原告の主張する、大正四年一〇月二二日の時点で、本件係争地が、前記四要件を具備していなければ、訴外タツの占有を基礎とする取得時効は認めることはできないということになる。以下、この点について、検討する。

(二) 確かに、前記争いのない事実等3によれば、訴外タツは、大正四年一〇月二二日に本件係争地に隣接する別紙物件目録<略>記載一ないし四及び六の各土地を交換で取得し、本件係争地も占有するようになったことが認められるが、そのとき、本件係争地が、前記(一)で示した四要件を具備していた状態であったと認めるに足りる証拠はない。殊に、原告は本人尋問の中で、原告の父親周作が別紙物件目録<略>記載一ないし六の土地で農園を始めたのは大正七年ころであると供述しており、大正四年ころから本件係争地を現在のように農園の一部として使用していないことが認められ、この点からも、大正四年当時に、本件係争地が既に公共財産としての形態、機能を全く喪失していたと推認することは困難というべきである。

(三) この点に関し、原告は、訴外タツは入婿を迎えるに当たり、建物を建てたが、その際本件係争地の一部を敷地にしていることをもって、本件係争地が黙示の公用廃止をされていた証左であると主張する。しかし、本件全証拠を検討するも、原告の主張する建物が、大正四年に建築されたと認めるに足りる証拠は存在せず、かえって、<証拠略>によれば、訴外タツが最初の夫庄藏と婚姻をしたのは大正七年三月であることが認められ、大正四年から、前記建物で同居していた等と認めるに足りる証拠は存在しない。よって、この点の原告の主張は採用することができない。

(四) 以上によれば、訴外タツが占有を開始した大正四年一〇月二二日当時、本件係争地が、前記(一)の四要件を満たす状態であったと認めるに足りる証拠は存在しないということになる。

2  小括

前記1の検討結果によれば、訴外タツが占有を開始した時点で本件係争地は黙示的に公用廃止をしていたとは認められず、そうだとすると、訴外タツの占有を基礎とする時効(長期、短期)は、その余の点を判断するまでもなく理由がないということになる。

二  原告の占有を基礎とする取得時効の成否

1  争点3(一)(他主占有の有無)について

(一) 時効の成立を否定しようとする者は、占有者が占有の始め所有の意思なく当該物の占有を開始したことを主張立証しなければならない。そして、ここにいう所有の意思は、占有者の内心の意思によってではなく、占有取得の原因である権原(他主占有権原)又は占有者が占有中真の所有者であれば通常はとらない態度を示したなどの占有に関する事情(他主占有事情)により客観的に判定するのが相当であると解する。そして、被告は、本件において、他主占有事情を主張しているので、その当否について検討する。

(二) <証拠略>によれば、以下の事実が認められる。

(1) 原告は、昭和五〇年七月二三日、建設省所管国有財産部局長東京都知事(以下「東京都知事」という)に対し、原告が所有する別紙物件目録<略>記載一ないし四、六の土地及び三二五二番の土地と公共用地との境界が不明であるので現地で明示を求めるという「公共用地境界明示申請書」を提出した。

(2) 原告は、昭和五〇年九月一八日、東京都知事に対し、原告所有地と公共用地(道路敷)との境界は現場で表示のとおり、異議なく承諾するとの承諾書を提出し、右同日、田中通、村上弥光、鈴木刀を立会人として公共用地の境界の明示及び明認が行われた。その結果、原告は、昭和五〇年一一月七日、東京都知事との間で、本件係争地と原告所有地との境界確定協議を成立させた。<証拠略>は、その後、作成された図面であり、道路敷境界図と題されている。

(3) 昭和五一年九月二四日付関東財務局目黒出張所長による原告宛の「国有財産にかかる時効取得の確認について」と題された書面により、国有財産であった別紙物件目録<略>記載五の土地、同二の土地の東側部分、同一の土地の南側部分について原告が時効取得していることが確認された。

(4) 原告は、平成四年三月二四日、本件係争地及び別紙物件目録<略>記載二ないし五の各土地の一部の上に立つ原告所有の家屋番号三六九番二の一の建物及び家屋番号三六九番二の三の建物の登記手続をしたが、各建物の登記申請書に添付された建物図面では、本件係争地は「道路」と明記されていた。

(5) 原告は、平成一一年五月一七日、別紙物件目録<略>記載一の土地について分筆登記したが、その際、本件係争地を「道路」と明記した地積測量図、本件係争地が道路である旨の記載をした土地現地調査書を各添付のうえ申請した。

(三) 以上によれば、原告は、本件係争地が国有土地であるとの前提に行動しており、かかる行動は、原告が本件係争地の所有者であれば通常とらない行動と評価できる。殊に、原告は、前記(3)のとおり、本件係争地に近い国有地を時効取得しているところ、本件係争地についても、仮に、原告が所有の意思を有していたとすれば、同時に時効取得の確認の申請を行うのが通常であるところ、原告は、本件係争地について、時効確認の申請をしていないし、右時効取得の確認の際、関東財務局目黒出張所長から送付を受けた<証拠略>添付の土地所在図には、本件係争地について「道路」と明記されていたにもかかわらず、当該記載に対して、原告は、異議を述べていない(<証拠略>)。これらの原告の行動を外形的、客観的にみてみると、原告は、本件係争地の占有を開始したと主張する昭和五〇年一一月七日には、所有の意思なく本件係争地の占有を開始したと認定するのが相当であり、右判断を左右するに足りる証拠は存在しない。

2  小括

前記1の検討結果によれば、原告は、本件係争地の占有を開始した時点で、所有の意思なく占有を始めたと認めるのが相当であり、そうだとすると、原告の占有を基礎とする時効(長期、短期)は、その余の点を判断するまでもなく理由がないということになる。

三  補論

1  争点1(二)(時効援用権の喪失)について

(一) 前記一、二の検討結果によれば、原告の取得時効の主張は、その余の点を判断するまでもなく理由がないのであるが、当事者双方が時効援用権の喪失についても主張、立証しているので、この点について付言しておく。

(二) 時効援用権者が、時効完成後、援用の意思表示前に、取得時効の主張と相容れない行為をした場合には、時効援用権者は、以後、従前の取得時効を主張しない意思で当該行為に出たと考えるのが自然であり、時効の成立によって不利益を受ける者も、もはやその心配はないとの期待をもつに至ると考えられる。したがって、時効援用権者が、取得時効の主張と相容れない行為を行った場合は、信義則上、時効援用権を喪失すると解するのが相当である。

(三) これを本件についてみてみるに、前記二1(二)認定した事実によれば、(1)原告は、昭和五〇年一一月七日、東京都知事との間で、本件係争地と原告所有地の境界の境界確定協議を成立させたこと、(2)原告は、平成四年三月二四日、本件係争地及び別紙物件目録<略>記載二ないし五の各土地の一部の上に立つ原告所有の家屋番号三六九番二の一の建物及び家屋番号三六九番二の三の建物の登記手続をしたが、各建物の登記申請書に添付された建物図面には、本件係争地について「道路」と明記されていたこと、(3)原告は、平成一一年五月一七日、別紙物件目録<略>記載一の土地について分筆登記をしたが、その際、本件土地を「道路」と明記した地積測量図及び本件係争地が道路である旨の記載をした土地現地調査書を添付のうえ申請をしたことが認められる。

(四) 右認定事実によれば、原告の前記(三)(1)の行為は訴外タツの占有を基礎とする取得時効の主張と相容れない行為であり、また、原告の前記(三)(2)(3)は原告の占有を基礎とする取得時効の主張と相容れない行為である。そうだとすると、原告は、信義則上、本件係争地について、取得時効援用権を喪失したと認めるのが相当である。

2  小括

以上によれば、原告の取得時効の主張は、時効援用権の喪失という観点からも理由がないということになる。

第四結論

以上の検討から明らかなとおり、原告の本訴請求は理由がないのでこれを棄却することにする。

(裁判官 難波孝一 足立正佳 富澤賢一郎)

物件目録<略>

別紙図面<略>

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